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| エッセイ・・・・・・・京都、三十三間堂にて | ||||||||||||||||
| ♪おとぎばなしの王子でも 昔はとても食べられない アイスクリーム アイスクリーム♪ 小さい頃口ずさんだこの童謡が最近よく私の頭の中に登場します。 この歌はこう続きます。 ♪ぼくは王子ではないけれど アイスクリームをめしあがる♪ 恥ずかしながら正直に白状しますと、 私はこの歌の内容を自分を取り巻く全ての事にあてはめて 「よかった よかった」 と 『傲りという名のアイスクリーム』 を 口の中で溶かしながら、すっかり安心しておりました。 確かにアイスクリームに象徴される平和で安全、そして便利な現在の日本に 私が在る事は素直に感謝しなければならない事だと痛感します。 問題は私自身が全てにおいて昔の人々より 豊かであると思い込んでいた事にあります。 |
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そして最前列に安置された二十八部衆の前に立ち合掌した時に、 以前には聞こえてこなかった音、感じることがなかった光などが 一体となり以前にはない感動を覚えたのでした。 今から七百年、八百年あるいはそれ以上前に、 この様なとてつもない空間を生み出した 豊かな創造性を持った異能集団が確かに存在した。 知識として理解していたはずの事が、リアリティーをもって目の前に広がった瞬間 「冷蔵庫を開ければ、いつでもアイスは手に入る。 でも、それで勘違いしちゃいけないナ」 と素直に思うことが出来たのでした。 光のあて方、視点の置き方、その時の心理状況etc、 様々な要素が変化する事により、その対象は違った印象を与えてくれます。 しかし悲しいかな、その時の印象こそがその対象の全てであるかの様に 思ってしまう事がままあります。 目にする形、耳に聞こえる音、鼻にかおる匂い、 舌に感じる味、手にふれる感触、毎日接する人々の心 そういう対象にばかり批判的である事、そして自身の目や耳や鼻や舌や手、 そして心について顧みない事が、結局 自分の世界を狭苦しいものにしてしまうのだと思います。 言葉の持つイメージに縛られ、自分には縁遠いものと勝手に認識している事も、 一度そのイメージを解体すると、とても身近に感じられたり、 今までなかった興味が湧いてきたりします。 例えば、不謹慎は承知の上で国宝の仏像を一般の彫刻として観賞してみるとか、 ムズカシイとして認識されている「お経」を音楽として聞いてみるとか、 「お香」の事を英語で「インセンス」なんて呼んでみるとか・・・・・。 そんな事だけで今まで自分勝手に作り上げたイメージに 邪魔されて感じる事が出来なかった事が少しだけ感じる事が出来て、 新しい世界への門が開けたりします。 今回訪れた三十三間堂は、以前にない感動を私に与えて下さいました。 しかしあの空間に込められた建立当時の仏師たちの豊かな技術、工夫、情熱は 私の想像をはるかに超えたところにあるのは間違いない事です。 お参りさせていただく度に新たな発見のある三十三間堂。 次に訪れる時は私は何を見、何を聴き、何を嗅ぎ、何を味わい、 何に触れ、何を感ずる事が出来るのか、それまで勘違いせず精進していきたいと、 アイスクリームをなめながらしみじみと思うのでした。 合 掌 |
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原田 裕行
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![]() 菩薩像(上海博物館) |
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平成9年9月に発行された持地院様寺報「羅漢」に掲載されたものです。 |
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